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朝鮮日報 記事入力 : 2012/09/30 09:53
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/09/30/2012093000103.html
「韓国の助産師、新生児を死んだと偽り海外へ」=豪TV
乳児の親には「出産時に死亡」、助産師が手数料目当てに海外で養子縁組
養子縁組した豪の韓国系女性、実の親を探す過程で真実が明らかに
24年前に慶尚南道巨済市に住む韓国人の助産師が、養子縁組の際に受け取る手数料を目当てに
「乳児は生まれてすぐに死亡した」
と言って乳児の両親をだまし、書類をそろえてオーストラリアで養子縁組させていたことが、オーストラリアの民放局の取材で明らかになった。
オーストラリアの民放「SBS」は、慶南巨済市に住む助産師が1988年に「乳幼児売買」を通じてオーストラリアで養子縁組させた韓国系女性、エミーリー・ウィルさん(仮名)=24=が、23年ぶりに韓国の生みの親を探し当てたという奇怪なニュースを今月18日(現地時間)に報じた。
放送によると、ウィルさんが生まれた1998年、この助産師はウィルさんの両親に「赤ちゃんは出産中に死亡した」とうそをつき、その後ウィルさんを慶南晋州市の孤児院に入れた。
5カ月後にウィルさんは「孤児」として分類され、オーストラリアで養子縁組された。
当時の養子縁組の書類には
「婚前交渉で子どもを生んだ親が、養育を放棄した」
との内容が記載されていた。
ところが「出生の秘密」について全く知らず、養父母の下で育ったウィルさんが、結婚して娘を出産したことをきっかけに自分のルーツを探したところ、この事実が発覚。
ウィルさんは自分の子どもに遺伝的疾病があるかどうかを知るために、生みの親を探し始めたのだ。
3年にわたって生みの親を探し続けたウィルさんは昨年、慶南巨済にある養子縁組専門機関の事務所の小さな部屋で、夢にまで見た生みの親と23年ぶりに対面した。
「私の人生は、助産師によって完全に変えられてしまった」
ウィルさんは
「私は生みの親に捨てられたと思っていた」
と泣きじゃくった。
ウィルさんは韓国で自分のルーツを一つずつ確認していった。
まず、助産師が作成した養子縁組の書類とは異なり、ウィルさんの生みの親はウィルさんを出産した当時、非常に仲のいい夫婦だったことが分かった。
助産師が、ウィルさんが出産途中で死亡したかのように見せかけ、オーストラリアで強制的に養子縁組したという事実も確認した。
その瞬間をウィルさんは
「頭の中が真っ白になった。
この事実を一体どのように受け止めるべきか。
こんなばかげた話が現実にあるはずがないとも思った」
と放送で語った。
ウィルさんの養父母も、この知らせを聞いて驚きを隠せなかった。
「自分の娘」として育てたウィルさんが、実は「乳幼児売買」によって送られてきていたという事実にショックを受けたのだ。
娘が出産途中に死んだとばかり思い込み、24年間暮らしてきたウィルさんの実の両親も「2人の娘の母」となって突然現われた娘の姿に、ただただ驚くばかりだった。
ウィルさんは放送で
「私の実の母は涙も出ず、言葉も発することができなかった。
そのため私はそれ以上、実の母に近付くことができなかった」
と語った。
ウィルさんはまた、インタビューで
「私の人生は一体、誰が補償してくれるのか」
と泣き崩れた。
海外で養子縁組された人々の集まり「トラック(TRACK)」の関係者は、オーストラリアのテレビ局とのインタビューで
「韓国人によって違法に養子縁組されるケースは全て金銭が目的」
と証言した。
養子縁組の際に受け取る手数料を目当てに、子どもの過去を「ロンダリング(詐称)」し、違法な養子縁組を行うというのだ。
ウィルさんは、自分が乳幼児売買によってオーストラリアにやって来たこと、強制的に養子縁組させられたことなどをオーストラリアの法務部に訴えた。
オーストラリアの法務部は、調査に乗り出したものの、20年以上も前のことで調査が難航しているという。
同国法務部のスポークスマンは
「オーストラリアでウィルさんのようなケースが発覚したのは今回が初めてだ。
オーストラリア政府は養子縁組の相手国に対し、乳幼児の強制売買のようなことがないよう何度も要請しているが、これには限界がある」
と話した。
同番組は
「朝鮮戦争が終わって以降、韓国は養子を輸出する主要国だったが、2006年以降はその数が急激に減った」
と報じた。
「養子縁組は、子どもを売買するものではない。
従って輸出などというのはもってのほか。
私たち(養子)に値段など絶対に付けられるわけがない」
ウィルさんは番組の最後に涙を流しながら訴えた。
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【おもしろ韓国】
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